はじめまして。ぼくはいま、十五歳で、高校一年生です。ぼくはあなたのことを、今日、はじめて知りました。写真ギャラリーで開催されているあなたの展示会を、たまたまみて、あなたを知りました。だからあなたのことを、あまりよく知りません。だけれどこうして、手紙を書いています。あなたが撮った写真を見て、感じたことだとか、それによって自分のなかで起きたことだとかを、紙に書かずにはいられなかったのです。
いまのぼくの暮らしは、平均的な高校一年生に比べて、かなり不自由なものだと思います。ホームルームを終えたらだいたい一時間以内には帰宅し、妹と弟の面倒をみないといけません。母はよそに恋人がいてたまにしか帰ってきませんし、父は暴君ですから、きょうだいの食事をつくったり、宿題をみてやったり、洋服を洗濯してやったりするひとが、ぼくしかいないのです。同級生が部活動をやったり、スタバの新作を飲んだり、欲しいものを買うためにアルバイトをしたり、将来のために予備校に通ったりしているとき、ぼくは家にいて、野菜を切り、スープを煮込みます。そういう過ごし方しか、選べないのです。
あなたの展示会が開催されている写真ギャラリーの向かいにある駅は、ぼくが通う高校の最寄り駅でもあります。スーパーで買い物をする必要のない日ならば、ちょっと立ち寄っても、遅くならずに帰れる立地です。だからぼくは、下校途中にときどき、あの写真ギャラリーに足を運びます。
ぼくには写真についての知識なんかひとつもありません。ひととくらべてたくさんの写真を見てきたわけでもありません。どういう写真が評価の高い写真で、どういう写真がそうではない写真なのか、見分けることがぼくにはできません。でも、あの写真ギャラリーで、ひとが撮った写真を眺めることが、けっこう好きなのです。ひとが撮る写真には、いつもぼくの知らないものだとか、はじめて見るものだとかが、映っているからです。
たとえば海外の大自然やそこに暮らすいきもの。
たとえば格好いい洋服に身を包んだモデルさん。
たとえば洗練された大都会の町並み。
たとえば笑顔で肩をよせあう親子。
いずれも、いまのぼくの暮らしに縁がないものです。だからこそ、せめて写真を見るという形で、そうしたものに触れてみたいのです。でもやっぱり、そうした作品を見てから写真ギャラリーの外にでると、ぼくはたいてい、悲しい気持ちになります。自分の暮らしのなかに、そうしたものがないということを、あらためて思い出して、思い知らされるから、悲しくなるのです。
だけれど今日、あの写真ギャラリーで見た、あなたが撮った写真を見たあとでぼくが感じた気持ちは、すこし違っていました。あなたの写真に映っていたものは、そのへんに生えている草とか花、公園のブランコ、チョコレートケーキに、晴れた空などでした。どれもとくに珍しいものではありませんでした。今日ぼくが見た、あなたの写真のなかに、ぼくがはじめて目にするものは、たったひとつも映っていませんでした。
―――
私が初めてカメラを買ったのは今から二十年前で娘が生まれる少し前だった。生まれてくる娘をたくさん撮るためにカメラを買おうと決めた。当時はまだスマートフォンなど登場していなかったし携帯電話のカメラは決して性能の良いものではなかったのできちんとした写真を撮りたければある程度の価格がするデジタルカメラを買う必要があった。私は子どもを生み育てるにあたり自分が幼い頃に親からして欲しかったことをしてあげようと心に決めておりそのなかのひとつが多くの写真を残すことだった。
そして始まった子育ては楽しいものだった。娘が歩けるようになると土日祝日のうち特別な用事がない日には決まって公園に出かけた。両方の腕を少し広げて一生懸命バランスを取りながら公園の芝生のうえをよちよちと歩いていたその時期の娘は植物に強く興味があったようで花や葉っぱ或いは木の枝など何らかの植物を常にその小さな手に握りしめていた。とくにお気に入りのものは家に帰っても手放すことがなかった。タンポポの綿毛を眼の前で吹いてやるとまだ歯が数本しか生えていない口を半開きにして目を輝かせていた。あの表情を私は死ぬまで忘れないだろう。
一方で子育ては苦しいものでもあった。とくに娘が一歳になり職場に復帰してから暫くの間の忙しさや心細さは過酷なものだった。退勤後に映画を見るだとか知人と食事に行くだとか浴室で本を読むだとか化粧品を買いに行くだとか香りを楽しみながらコーヒーを淹れるだとかそういった時間を持つことは全く出来なかったといって差し支えがなかった。娘は日中に保育園に通うようになり離ればなれになる時間が増えたせいか家にいるときの後追いがいっそう執拗になりトイレの中にまでついてくるほどだった。「母としての自分」と「勤め人としての自分」と「どちらでもない自分」のうち「どちらでもない自分」はもはや息苦しいという次元ではなく寄せては返す育児と仕事の往復に飲み込まれて溺れて息の根が止まる少し前だった。(もっともこれは珍しい話ではなく実際に息の根を止められてしまい「母」と「勤め人」のふたつだけ、あるいは「母」だけになってしまったお母さんはこの世のなかに数え切れないほどたくさんいるだろう)当時の私が「どちらでもない自分」に戻れるのは平日の朝に娘を保育園に預けてから出勤のために駅へと向かう僅か五〇〇メートルほどの道を歩く時だけだった。
そんなある日。夏の初めの天気の良いある日。保育園から駅までの五〇〇メートルを歩いている途中で、アスファルトの割れ目から生えて花を咲かせている一輪のタンポポが私の目に留まった。それはどこにでもある黄色いタンポポだった。娘を生む前の私ならば視界に入れても気に留めなかっただろう。そういうタンポポだった。そんなタンポポが目に留まったのは植物好きの娘であればきっと見つけて摘みたがるだろうなという考えが頭を過ったからだ。だから私は娘が普段そうするようにタンポポの前で足を止めて、それからしゃがみ込んで、顔を近づけて、無数に重なり合うその花びらを見つめた。そうしているうちに、そのタンポポの花びらと花びらのあいだに、小さな水滴が一粒、光っていることに、私は気がついた。さらにその水滴の、中をよく見ると、そこにも、また何かが、いる、ように思えた。――どれくらいの間そうしていたのだろうか。ふと周囲からの視線を感じて私は我に返り慌てて立ちあがった。
翌朝。私は家を出る時にカメラを持って行った。いつものように娘を保育園に預けてから駅の方へと歩いた。あのタンポポは前日と同じ場所で同じように静かに咲いていた。私はカメラを取り出してそれを撮影した。まずはじめに全体像を撮り、それから接写機能を使い、徐々に倍率を上げながらシャッターを切り続けた。撮影を終えてカメラをしまい再び歩き出し、駅にたどり着くと、電車を待つ間に私はデジカメの小さな液晶画面で以て、先ほど撮影した写真を確認していった。多くの写真は激しくブレていたが何枚かは焦点があったものがあり、なかでも花びらについた小さな水滴を映した一枚を見ると、その水滴の中に虹が、まるで青空に七色のリボンシャワーを投げたような幾重もの虹が存在していることを、確かに確認できた。私はそれを発見して、母親でも勤め人でも「どちらでもない私」はそれを発見して、ああ宝物を見つけた、と、思った。
その後も子育てはずっと大変だった。娘はしょっちゅう熱を出してそのたびに保育園から迎えに来るようにと電話がかかってきた。職場のひとたちに頭を下げ申し訳ない気持ちと娘の体調を心配する気持ちと予定通りにならない苛立ちとでぐちゃぐちゃになりながら早退したことが何度も何度もあった。出産前に親しかった友人たちと疎遠になるにつれてかつての自分が薄まって消えていくように感じた。多忙であっても娘には栄養を与えなければと死力を尽くして作った離乳食をまるごと残された。喋る言葉が増えたり歩ける距離が長くなったり、えくぼを作って笑いかけてくれたりすることへの喜びはもちろん何事にも代えがたいものだったが、「どちらでもない自分」が溺れそうな日々の中で呼吸をできる時間は依然として保育園から駅までの五〇〇メートルほどの道を歩く時だけだった。だけどその短い時間のなかに、短い空間のなかに、あのタンポポについていた水滴のような宝物は無数に存在した。空を見上げても雲を眺めてもスーパーに売っている野菜やフルーツを手に取っても、じっと目を凝らせば宝物をみつけることができ私はそれをカメラで収集した。そうした行いが、当時の私の五〇〇メートルを、無限の世界にした。
いつの間にかカメラを手にしてから二十年が経った。娘が十歳を過ぎる頃になると撮りためた写真を人前に出すほどの余裕が私の生活に生まれた。それを続けるうちに少しずつだが写真の仕事が発生するようになり、今では主たる仕事になっている。行ける場所も撮るものの種類もあの頃とは比べ物にならないほど多様になったのだが、娘が成人して家を出ていって、ひとりの時間がいよいよ増えてくる、娘が小さく子育てがもっとも過酷だったときのことを思い出す頻度も妙に増えてきた。あの頃のように、日常のなかのごく限られた時間と空間のなかであけで撮った写真ばかりを集めた展示をやりたいと思った。
―――
今日ぼくが見た、あなたの写真のなかに、ぼくがはじめて目にするものは、たったひとつも映っていませんでした。草とか花、公園のブランコ、チョコレートケーキに、晴れた空。それから信号機、誰かの手の甲、コンビニの看板、のらねこ。どれも、いまのぼくの生活のなかでも、見かけるものでした。
にもかかわらず、ぼくはこれらのものを、あんなにも綺麗なものとして捉えたことがなかった。ぼくが、この不自由な日々の中で不平をいだきながら、不機嫌になりながら目にするものたちのなかからでも、あんなふうに美しさを見つけだせるのかと、目を奪われました。
今日あの写真ギャラリーから一歩、外に出たとき、だからぼくは、悲しくなかったのです。異国の絶景や、格好いい服や、都会の町並みや、仲の良い家族が映った写真をみたときとは違って、悲しくなかったのです。それどころか、そこから駅の改札までの数分間だとか、二番線のホームだとか、電車のなかだとか、家の近所の景色までもが、これまで自分が見てきたものとはまったく違うもののように思えてきたのです。
この視界のなかから、あなただったらどうやって美しさをみつけだすのだろうとか、ぼくにも美しさを見つけられるだろうかとか、家に帰ってからもそんなふうに思い続けています。
興奮がさめずに、うまく寝付けずに、こうしていま、手紙を書いています。
あとがき
今回はフォトグラファーの6151さんからお話を聞き、物語を書かせていただきました。
6151さんといえば、作中にも書いたように、日常の見慣れた風景の中から魔法のように宝物を取りだす、そんな表現の名手です。
お話を聞き終えてから家の外に出ると、見慣れた景色のなかから自然と「宝物」を探している自分に気づき、それは作中の「ぼく」が経験したのと同じ、不思議で素敵な体験だったのでした。
2024/12/03/辺川銀