サラリーマンvsエイリアン

 目を覚ますのは昼前で、起きたらすぐに、隣に寝ているユキコとセックスして、終るとそのまま、服も着ないで二度寝して、再び起きると腹が減っている。服を着てから、部屋の外に出ると、外はもうすっかり、暗くなっている。ユキコの車をおれが運転して、三キロ先のファミレスに行って晩飯を済ませる。ファミレスを出てからだいたい二時間ほど、市内をドライブした。外灯の本数が少なく、車もあまり多くは通らないから、東京よりもかなり暗く感じた。雪が少しぱらついたが、すぐに止んでしまった。帰る途中にツタヤに立ち寄り、旧作映画のDVDを、一本だけ借りた。ユキコの部屋に戻ると、十時を過ぎていた。風呂に入って汗を流すと、硝子のコップに酒を注ぎ、乾杯してから飲んだ。それからベッドに行き、セックスをして、そのまま眠りに落ちた。明日もきっと目を覚ますのは昼前頃だろう。ここ数日間、大体こういう感じの生活をしている。まるで学生みたいだ。

 次の日の夕方、ユキコがコンビニへ買い物に行った時を見計らって、東京にある事務所に、おれは電話をした。電話を取ったのは部下の桜井だった。明後日には東京に戻る予定だったが、休暇の期間をあと五日だけ延長したいという旨を、おれは桜井に伝えた。桜井は快く、構いませんよと言った。元気が出るまでゆっくり休んでくださいとも言われた。桜井の言葉に、おれはほっと、胸をなでおろした。しかし一方で、あまり長い期間、ここでこうして過ごしているのはまずいということも、もちろん分かっている。現に先日、間違いがないかチェックして欲しいと、桜井がおれに送りつけてきた資料のデータは、酷いものだった。内容の細かな部分は、ほとんど完璧なのに、よりにもよってタイトルの部分に誤字があったのだ。他所に提出する大事な資料なのに、事務所の連中はどうして、誰も気づかなかったのだろう。あいつらは基本的に優秀なのだけど、おれがいないとああいうミスをするから、あまり長いこと席を空けるわけにはいかないのだ。

 昨日ツタヤで借りてきた、旧作映画のDVDを、ユキコと一緒に観た。薄暗い世界観のSF映画だった。舞台は今から二百年後の未来で、その時代の地球は、全身が緑色をした宇宙人たちに支配されている。地球人は、男女を問わず、奴隷として働かされている。奴隷の主な仕事は、暗い地下の畑で、宇宙人の主食である、宇宙キノコを育てることだった。しかし宇宙キノコは、人間にとって有毒な胞子を飛ばすので、奴隷たちは皆、若いうちから病気にかかり、次々と死んでいった。そんな中、人間たちのあいだに、ひとつの噂が流れた。宇宙人の手から逃れて暮らしている人間たちの集落が、シベリアにあるという噂だ。宇宙人は寒さに対してめっぽう弱いので、気温の低いシベリアには、寄りつかないというのだ。夜中にこっそり宇宙人のもとを抜け出した主人公の男が、自由を求めてシベリアを目指したところで、おれはリモコンを手に取り、一時停止を押した。隣に居るユキコが、絨毯の上に横たわって居眠りしていたからだ。続きは後日鑑賞することにして、ユキコをベッドに運んだ。寝ぼけ眼で欲しがられたので、一回セックスして、そのまま裸で眠った。

 ユキコは大学の四回生で、就職先も既に決まっているから、出掛ける予定は少なく、大抵家に居る。しかし今日は、四月から就職する会社の、内定者の集まりに出席しなければいけないとのことで、まだ真新しいスーツに身を包んで、憂鬱そうな表情を浮かべながら、ひとりで出掛けて行った。ユキコが居ないあいだに、おれはパソコンを開いて、今朝、桜井が送ってきた、新しい資料に、ざっと目を通した。例によって資料にはほとんどミスがなく、細かい箇所まで作りこまれていたが、ページ番号が間違えているという、中学生でも見落とさないようなミスをひとつ見つけたので、おれは安心した。桜井をはじめとした、事務所の連中は、基本的には仕事ができるのに、どこか抜けているのだ。それがなければ、あんな小さい事務所ではなく、もっと良い職場で出世できるだろうに。やっぱり出来るだけ、早く事務所に戻らなければいけない。

 おれは三十五歳になるまで、仕事をほとんど休んだことがなかった。妻はそれを良く思わなかった様子で、たまには休んで一緒に出掛けてほしい、娘と一緒に遊んでやってほしいと、顔を合すたびに文句を言ってきたが、そんな余裕はおれにはなかったし、自分が間違っていると思ったこともなかった。結果的に、おれたちは去年、離婚をするに至った。妻は娘を連れて実家に帰ってしまった。ひとりになってからというもの、おれは身体の調子を崩すようになり、眠れない日が増えた。部下たちに勧められて、精神科を受診すると、しばらく仕事を休むように言われた。仕方がないので手付かずだった有給休暇を使い、一週間の休みを取ることに決めたが、なにしろあまり仕事を休んだ経験がないので、どういうふうに過ごしていいのか分からず戸惑った。新幹線に乗って、生まれた町に戻ったが、両親はすでに他界しており、実家の土地は売ってしまったので、行くべき場所はなかった。仕方なく足を踏み入れたバーで、たまたまユキコと知り合い、意気投合して、休暇の間、世話になることになった。ユキコの家は、東京にあるおれの家と比べても非常に狭いのだが、居心地が良かった。妻と別れて以来、ひとりで居るとさっぱり眠れなかったが、ユキコの隣ではそれが嘘のようにぐっすりと眠れた。

 桜井から送られてきた資料のチェックを終えてから、ユキコが帰って来るまで、時間があったので、先日途中まで見たDVDの、続きを見ることにした。本当はユキコと一緒に見ようと思っていたが、彼女は前回、途中で眠ってしまったので、ひとりで先に見てしまっても文句は言わないだろう。宇宙人の元から脱走した主人公の男は、シベリアを目指して、徒歩での旅を続けた。旅の途中で、人間に対して敵意を持った宇宙人と、何度も遭遇した。男は銃を隠し持っていたが、可能な限り戦うことを避け、あの手この手を尽くして、身を隠し、何とか逃げ続けた。宇宙人は地球人と比べて、はるかに強いので、まともに戦っても、勝ち目は薄いからだ。自分の命を極力危険にさらすべきではないというのが、男の考えだった。しかしそれでも、逃げ場を失い、窮地に追いつめられると、その時だけは銃を手に取り、果敢に戦った。戦わなければ死んでしまうからだ。死ぬために戦うのではないと、男は口にした。生きるために戦うのだ。物語の終盤、男は命からがらシベリアに辿り着いたが、そこにあったのは噂されていた人間たちの集落などではなく、宇宙人たちの実験施設だった。宇宙人が寒さに弱いという話も、真っ赤な嘘だった。しかし男は、それでも生きなければならないのだと、虚空に宣言して、エンドロールが流れた。

 DVDを見終えて、テレビの電源を落とすと、それと同時に、内定者の集まりに出掛けていたユキコが帰宅した。ユキコはスーツを脱ぎ捨てると、おれに抱きついて、しばらくのあいだ泣いた。どうして泣くのか、おれが尋ねると、社会に出るのが恐ろしくて、上手くやっていく自信がまったくないと嘆いた。おれは何とか彼女を励まそうと、頭の中で幾つか言葉を並べてみたのだけど、どの言葉にも説得力が乏しかったので、結局ひとつも口には出さなかった。よく考えればおれだって、二十代の頃から、寝る間を惜しんで働き続けた結果が、家庭を失い体調も崩した、この現状なのだ。彼女を正しく諭せる言葉など、持っているはずがなかった。

 仕事を休み始めて、すでに十日が過ぎたが、東京の事務所で起きていることは、だいたい把握している。部下の桜井が毎日のようにメールを送ってくるからだ。桜井という男は、まるで学校を休んで居るクラスメートに、授業のプリントを届けに来る、学級委員のようなやつだ。実際のところ、まだ若いが人望も厚いし、もしかするとおれよりあいつの方が、他の職員たちからも頼られているのではないかと、感じることがある。おれも例外ではなく、あいつのことを良く思っているから、嫉妬したりはしない。ガキでも気付くようなミスをしょっちゅうやらかすが、不思議なことに、大きな損害に繋がったことは、ただの一度もない。あいつのことはあまり分からない。

 翌朝、目を覚ますと、ユキコはベランダに出ていた。屑籠ほどのプランターに、土を敷き詰め、種を撒いていた。ガーデニングは彼女の趣味で、毎年こうして育てているそうだ。春になったら、真っ赤な花を咲かせる種だという。花が咲いたら一緒に眺めようと、ユキコはおれに言った。それが現実になったら、どんなに素敵だろうと、おれは想像した。

 夕方、ユキコとセックスをした後、服を着ないでぐったりしていると、電話が掛かってきた。桜井からだった。東京の事務所で、厄介なトラブルが発生したらしい。居る人間では対処が出来ないので、もし可能なら、助けて欲しいと言われた。普段は飄々としている、桜井の声に、焦りの色が滲み出ていたので、これは本当に深刻な事態なのだと悟った。おれは時計を見た。今からここを出て、新幹線に乗れば、終電までにはなんとか、東京の事務所に辿り着くだろう。ユキコは身体を起こし、携帯電話を耳に当てているおれの顔を、不安げな表情で見つめた。細くて力のない腕を、おれの腰に巻き付け、ぎゅっと抱きついてきた。おれはユキコの頭を、ぽん、と軽く撫でた。電話の向こうの桜井に、今から行くので待っていろと言い、それから電話を切った。

 

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