ヒト語の意味をネコに教わる男[ネコ写真 多め]

言葉というのは何でしょう。

2017年の夏にコンパクトデジカメを買ったのは仕事でインタビュー記事を書くにあたり写真撮影までやる必要があるからという口実だったんですが実際には近所の野良猫とか水族館のペンギンばっかりを撮影しています。

特に猫が多い。

猫の写真を撮るようになってたびたび思うのは彼らはすごくよく喋るなあということ。もちろん僕らと同じ日本語を使うことはないのだけど尻尾や耳や目線や声や身体全体を使って「今これくらい警戒しているよ」「その距離までなら良いけどそれ以上近づかれるのは嫌だよ」「あなたに対して安心しているよ」「カメラどころではない遊んで」などなどをしっかり伝えてくる。一方僕は彼らの発信をできる限り正しく受信しながら「今この距離ならカメラ構えても良いですか?」というのを一々確認する。そんな非言語のやり取りをしながら「ああ、紛れもなくこれは会話だなあ」としょちゅう思うわけです。

言葉というのは何でしょう。

僕は仕事柄いろいろなひとの話を聞くことがだいぶ多いのだけど、人間であっても猫と同じように言語以外の手段で以て何かを伝えてくることは多いじゃないですか。例えば普段人前で喋り慣れているオトナの方であっても、ある話題になった時声のトーンがちょっと変わったり、会話のペースが少し遅くなったりすることなんかがあって、そのテの変化というのは「コレ普段あんまり喋り慣れてない事柄なのかな」とか、「ここ掘りさげたら本人にとっても新しい自己理解になりそうと」とか、そういうものを見つけるヒントになるわけですね。

一方で自分は日本語でモノを伝えるのが仕事であるわけだから、非言語的なものも何とか言葉に置き換えたいと思う。猫とか音楽とか写真とかに触れると「言葉では伝えきれないものってどうしてもあるよなあ」と圧倒されるんですが、「でも物書きだから言葉で伝えたなあ」というある種の無謀さが顔を出しもします。

全部を言葉で伝えきるのはきっと無理でしょう。猫たちを目の前にすると「伝える」に対して謙虚であれと教わっているような気分になってきます。言葉ではないものに敬意を払いつつ言葉をもっと使いこなしていきたい。

 

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