機械は拗ねてもエラーを起こせません

 冷房の効いた自分の家で珈琲を淹れようとしてお湯を沸かしていた。音を鳴らして湯気を吐き続けるやかんをぼやっと眺めていたらマナーモードの携帯電話が震えた。ディスプレイを見ると知らない番号だったけど少し迷ったあとで出てみたらあなたからだった。あなたは少し舌たらずで砂糖菓子みたいな甘ったるい声をしていたのだけれど、それはわたしの記憶しているあなたの声とまったく変わってなかった。こんど遊ぼう。とあなたはまるで日ごろから学校や会社で顔を合せる普通の親しい友だちに言うかのような口ぶりでわたしのことを誘った。いいよ遊ぼう。とわたしは答えなければいけない。あなたの誘いを正しく断るやり方をわたしは未だにちっとも知らないから。

 私とあなたが最後に会ったのは今からきっかり二年前だった。わたしとあなたが最初に出会ったのは今からきっかり三年前だった。わたしとあなたが恋人同士でいたのは三年前から二年前までのきっかり一年だった。わたしとあなたが恋人同士を辞めなければいけなかった理由は、あなたにははじめから婚約者というのがいて、そしていよいよ結婚しなければいけないという段になってしまったからだ。当時のあなたの言葉を素直にそのまま信じるとするなら、あなたには婚約者がいたけどあなたの恋人はわたしひとりだった。わたしが男だったら結婚できたのだろうかと何度も考え自分の性別を呪ったけど、ばかばかしくなりやめた。わたしは生まれついての同性愛者だけど容姿には恵まれていたから、あなたと出会より以前は、とっかえひっかえ恋人が途絶えたことがなかった。もしもわたしが男性だったとしても、とても不細工な顔に生まれついていたなら、今こうして性別を呪っているのと同じように容姿を呪っただろう。ようするにないものねだりでしかないのだ。あなたが結婚する前日、わたしたちは最後にいちどキスして恋人同士をやめた。今からきっかり二年前だった。

 二年ぶりに再会したあなたはわたしの記憶しているあなたとやっぱり変わらなかった。よく笑うところも、笑うときに手を口元に持っていく癖があるのもまるきり同じだった。ミディアムボブの髪型もピアスの数もお酒が弱いところも、ひとつも変わらなかった。思っていたほど結婚生活は悪くないものだし子どもも生まれたのだというけどわたしから見てあなたは変わってなかった。あなたは幸せそうに見えた。幸せそうなあなたを見たわたしは脊髄反射で幸福感を感じた。あなたの幸せがわたしの幸せだと恋人同士だった頃に刷り込まれたからだ。

 八月とはいえ夜になったらそこまで暑くはないけど、それでも少し距離を歩くとシャツの背中にしっとり汗が滲んだ。わたしとあなたはきっかり二年ぶりに指と指とを絡ませて手を繋いぎ街の中を歩いた。ミディアムボブの髪の毛から香る蜜みたいにとろりと良い匂いが目と鼻の先で蒸し返した。アルコールが今さらわたしの頭にも回って、夢を見ているみたいだ、と、思った。赤信号の前でわたしは立ち止るとあなたに向かい合って、それから両の腕を伸ばして、あなたの首を殺すつもりで絞めた。

 

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