だからずうっとふたりで暮らすと思う

 午前三時の冷房が寒いほど効いた部屋でわたしたち夫婦は性交をおこなう。夫はわたしの背中に腕を回しぎゅうと抱きしめる。ふとく骨ばった十本の指は髪のあいだを塗って泳ぐようにわたしの頭をなでる。この夏に買い替えたエアコンの静かな稼働音。おもてを通り過ぎる車の音。ベッドが軋む音。汗で湿った肌がこすれる音。それから呼吸の音。わたしの目から涙がこぼれたことに気づくと夫は何もいうことなくひとさし指の先でそれをぬぐい取る。わたしたちが結婚をしてから十年もの歳月が流れたが性交の頻度は月に三度ほどで出会った頃から今に至るまで増えても減ってもいない。そんな夫との行為にわたしは性的な刺激よりも安心をより強く感じる。だからわたしは繋がったまま眠たくなってしまう。
 
 ところが夫に身体を触れられながら眠りに落ちたというのにこの夜わたしは悪い夢を見た。夢の中でわたしは白い部屋にいた。その部屋には窓も扉もなく外の様子はいっさいわからなくて床の上には美容師が練習に使う頭だけのマネキンが無数に転がっているのだった。そしてわたしは両手に銃を握っていた。銃はずっしりと重たくわたしの右手のひとさし指は引き金にかかっていて銃口の向く先にはママの姿があった。ずいぶん現実離れした場面だったのですぐに夢だとわかったがそれでもママの姿を見てわたしは酷く嫌な気分になる。「私が悪いんです」と声を出しながらママは泣いていた。「この子が銃など手にするようになったのは私のせいなんです」と訛りのきつい喋り方でわたしではない誰かにむけて訴えながらママは泣いていた。

 わたしのママはいつもそうだった。ママは泣き虫だった。わたしが万引をして捕まったときも不登校になって担任が家に尋ねてきたときも隣駅までの切符しか買えないのに東京へ向かう電車に乗ったときもインターネットで知り合った男の家に泊まったことをパパに咎められたときもママはいつだって「私が悪いんです」といってわたしの顔を見ることなく泣いた。警察や担任や駅員やパパが涙するママを責めたことはなかった。その代わりに彼らはわたしにいうのだ。「あまり母親を困らせるな」と。ママが泣くことでわたしの罪状には万引きの罪とか不登校の罪とか生まれ育った田舎町を捨てて逃げようとした罪とかたとえ身体が目当てだろうと優しい言葉をかけてくれる男に縋った罪とかに加えて親を泣かせた罪というのが追加されるのだった。
 
 ママが泣いているとわたしは泣くことができなかった。「あまり母親を困らせるな」といわれるとわたしは泣くことができなかった。「ここでお前が泣きでもしたらそれは母親をさらに困らせることだぞ」といわれているように感じられたからだ。なのでわたしは教室内のいじめを取り仕切るグループに脅されて無理やり万引きをさせられたことや学校のことを考えるだけでお腹が痛くなり震えが止まらなくなることを当時だれにも相談することが出来なかった。無謀な家出を試みることもよく知らない男に抱かれることもママが泣くかぎりわたしにとっての逃げ道にはなり得ないのだった。ああそうだ。そうしてママはいつだって子どものわたしから泣くべき場所を横取りして自分ひとりだけが楽になろうとしてきた。

 頭部だけのマネキンが無数にごろごろと転がる白く窓のない部屋で泣いているママに銃口を向けてわたしは立っていた。「私が悪いんです」と泣き続けているママ。「この子が皆さんに迷惑をかけるのは私が育て方を失敗したからです」とわたしを見ずに喋り続けるママ。わたしは銃の引き金を引く。ぱぁんと乾いた音が鳴ると銃口からはクラッカーのように色とりどりの紙テープやきらきら光る紙吹雪が飛び出してあたりに降り注いだ。つぎの瞬間ママの頭部は周囲に転がっているものと同じマネキンに変化してごろりと床に落ちた。頭部を失ったママの身体は膝から崩れて床に倒れ込んだ。それもよくよく見ればアパレルショップに展示されているようなトルソーに姿を変えていた。そんな夢を見た。

 目を覚ますと寝室はまだ暗く冷房のおかげですこし肌寒かった。隣で眠る夫の身体に触れた部分だけが暖かく感じる。わたしは上半身をベッドから起こすと夫の性器からコンドームを取り外して中の精液が漏れないようしっかりと縛ってからゴミ箱に放った。わたしたちが結婚をしてから十年もの歳月が流れたが定期的にしている性交の内訳は出会った頃から今に至るまでほとんど変わらない。ほとんど声を立てず性的な刺激よりも安心感を求めて行為に及ぶことも、決まった銘柄のコンドームを使用することも、繋がったままでわたしが眠ってしまうことも、わたしが夫の性器からコンドームを外して捨てることも、毎回かならず同じようにおこなわれる。わたしは夫の体温に身体を寄せてふたたび目を瞑る。耳を澄ませば聞こえるのは、いつの間にか降り出した弱い雨がコンクリートを打つ音、この寝室を過剰に冷やし続ける新しいエアコンの静かな稼働音、近所のどこかからかすかに聞こえてくる顔も知らない赤ん坊のおそるべき泣き声、それから規則正しく優しい夫の寝息。

あとがき

子どもの頃に負った傷は、成長と共に癒えていくものもあるのだけど、そうではなく、成長と共に傷そのものも大きく根深く育ってしまうケースもあるのだなと。

2021/05/28/辺川銀

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