鬱がやってきた

 ある朝。目を覚ますと世界中の物が重くなっていた。箸や皿も重たい。テレビのリモコンや新聞紙も重たい。不思議に思って色々なものを秤に乗せてみたが異常な数値は出ない。百グラムの生肉は百グラムと表示されているし袋を開けていない二キロの白米は二千グラムのままだ。けれど体感では僕が手に触れるあらゆるものが昨日までより一キロぐらい重くなったと感じる。髭を剃るための剃刀でさえ中身が詰まった一リットルの牛乳パックを持っているような重さだ。なのでこの日は通勤するのにも随分苦労をした。もちろん標準的な成人男性である僕にとって、通常の状態なら一キロの物体を持ち上げることなんてまったく苦にはならない。けれどスーツも鞄も靴も、満員電車で倒れこんでくる無数の人びとの身体も、その何もかもが一キロずつ重くなったとなれば、まったく事情が違った。

 翌日になっても僕の世界は重たいままだった。三日経っても重いままだったし一週間後もやっぱり重たかった。資料の入ったダンボールとかメモをとるためのボールペンさえ上手く扱うことが出来なくなってしまった僕の様子を見て同僚たちは不思議がっていた。どうしてそんなに軽いものを持ちあげられなくなってしまったんだと言って僕を嘲笑った。そんな彼らの話し声にもそれぞれ一キロずつの重量があるように感じた。人間の身体というものは体重が増えれば増えるほどそれを支えるための筋肉もついていくという仕組みになっているのだけど、あらゆるものを重たく感じてしまうこの現象に対して僕の身体が適応することはなかった。そんな状況が一週間も続いているのだから僕の身体に蓄積された疲れは想像を絶していた。

 そういえば後輩のAという男はいつも疲れていた。他の後輩たちと同じ量の仕事を任せた場合でも大抵いちばん仕上がりが遅かったし不正確だった。誰にでも出来る簡単な雑用をひとつやらせてみただけでも随分と苦しそうな表情を浮かべていた。あの男はどうして常にあんなに辛そうなんだろうかと僕は常々疑問に思っていたのだけど、もしかしたら彼も今の僕と同じように、本来よりも一キロかニキロほど重くなった世界を生きているのかもしれない。今度会ったら話を聞いてみたいなと思うのだが、残念なことにAはもう半月ぐらい会社に来ていない。
 
 ある朝。目を覚ますと身体が動かなかった。毛布やパジャマはもちろん、まとわりつく朝の空気だとか、カーテンの隙間から差し込んでくる日差し、自分の身体そのものでさえ重くて仕方がなかった。起き上がることが出来なかった。スーツに身を包んで鞄を持って靴を履くことなどもっと無理だと思った。例えば目の前に三トンのトラックを用意されて、今からこれを持ち上げてみろなんて言われたなら、きっと誰もがトラックに触れてみることもなく、出来ないと答えるだろう。それと同じぐらい不可能だと思った。僕は仕事を休んだ。

 午後になると会社から電話が掛かってきた。スマートフォンも重かったので最初は無視をした。けれどしつこく何度も掛かってきたので仕方がなく電話に出た。電話の向こうにいる同僚は声を荒らげていた。どうやら後輩のAが自宅で死んだらしい。とても不可解な死に方だったという。何もないところでぺしゃんこに潰れてしまっていたそうだ。まるで重いものを載せたダンボールが潰れてしまうみたいに。どうしてあいつがそんな死に方をしたのか理解できないと同僚は叫んだ。うるさかったので僕は電話を切った。結局この日は陽が沈むまでベッドの上で過ごした。

 

「辺川があなたのお話を聞いて小説を書きますよ」という活動をしています。お申込み・お問い合わせは上記バナーより。些細なことでも気軽にお尋ねください。
タイトルとURLをコピーしました