歯車の音

「ねえお父さん」と息子は言う。「ねえお父さんぼくはどうすれば良かったんだろう」と、公園のベンチに座る小学五年生の息子はうつむきながらか細い声で言う。サッカーボールを追いかけて駆け回る子どもたちの声が夏の夕空にひびく中で愛しい息子は言う。「友だちと喧嘩をした。つまんない喧嘩だ。いつかは仲直りできると思っていた。だって彼とぼくは幼稚園に通っていた頃からずっと友だちだったしこれまでに何度も喧嘩をしてこれまでに何度も仲直りをしてこれたんだから。今回も簡単に仲直りできると思っていた」小さな膝の上に載せた両手を握り締めながら私の息子は言う。「でもそうならなかった。仲直りするより先に彼は転校して遠くに行ってしまった。親の仕事の都合なんだって先生からはあとから聞かされた。ぼくらはもう仲直りすることができなくなってしまった。あんなつまらない喧嘩で」息子は言う。「ねえお父さんぼくはどうすれば良かったんだろう」
 
 今の息子を見ていると私自身の昔を思いだす。私が彼女と知り合ってから十五年が経った。ひとつ年上の彼女は彼女は行きもしない国や地域の旅行ガイドブックを何冊も購入してはそのページを捲りながら現地の景色や味や匂いに思いを馳せるような女性だった。当時大学生だった私たちは同じ書店で働いていたことがきっかけで知り合うとやがて親しくなり男女交際に発展した。交際期間が半年を過ぎると私はほとんど自分の家に帰ることがなくなりもっぱら彼女の家に寝泊まりして半ば同生徒もいえる日々を過ごしていた。交際期間中は一緒に幾つかの旅行にもでかけたし記念日も祝ったがそれより深く私の記憶に刻まれているのは無数に積み重ねた名付けようのない日々のことだった。平日の朝は野良猫をふたりで探しながら駅までの道を歩いた。予定のない週末などは「今日は何をしようか」と話しながら結論がでないうちに日が暮れて結局ベッドからほとんど降りずに過ごした。

「わたしたちはまるで家族みたいだね」と彼女が言ったのは交際期間が二年を数えた頃だ。でそのとき私たちは茹ですぎて柔らかくなったスパゲティを昼食として口に運んでいた。彼女のせりふに私は同意した。あの頃の私にとって彼女はもうひとつ屋根の下で過ごすことが当たり前の存在になっており将来的には結婚するのだろうとさえ思っていたからだ。私よりも一年早く就職活動を始めた彼女が地方の企業で面接を受けるために一晩留守にしたときなど、ひとりで眠る夜というのはこんなに不安で落ち着かないものだっただろうかと驚き、いかに彼女が私の暮らしに馴染んでいたのかと再確認したものだ。だが私たちの交際が三度目の冬を終えようとしていた頃に彼女はこう言った。「地方への就職が決まったのでこの家を引き払う。わたしたちの交際もこれで終わりにしよう」と。彼女が地方へ行き距離が離れても交際は続けられるはずだと私は主張したが受け容れられなかった。

「わたしたちはまるで家族のようになってしまったから」と彼女は私に言った。「わたしにとって家族とは自分の自由を縛る存在だった。心配をかけないように帰らなければいけない。そういう存在になってしまったから。この関係はここが限界だろう」と、交際を続けられない理由を私に説明した。それは私にとって納得できる説明では到底なかったが男女交際は一方が継続の意思を失った時点で成立しなくなる。「ここが限界」と彼女が言う時点で私の納得の有無など関係はなかった。そしてあの日から今に至るまで私の半生は概ねそんな調子だ。失恋の傷心が癒えないまま始めた就職活動では度重なる失敗の末一社だけ内定が出た現在の職場に入社するしかなかった。その数年後に知人の紹介で知り合った今の妻と半ば投げやりな気持ちで交際し押し切られるように結婚したことも納得の上の選択ではなかった。多くの出来事が私自身の納得を置き去りにしたまま過ぎてきたのだった。
 
 公園に設置された防災行政無線のスピーカーから子どもたちに帰宅を促す放送が流れる。私はベンチに腰かけたまま俯いている息子の手元をじっと見つめている。二度と関係を修復できなくなってしまった友人のことを思いうなだれる息子の手元を私は見つめ続ける。今の息子を見ていると私自身の昔を思いだす。納得することが間に合わないまま通り過ぎてきた出会いと別れの数々が意識の中に現れては消える。だがそんな半生であってさえ、ばらばらに置かれていた歯車がある時カチリと噛み合い動き出すように、これまでに経たあらゆる出会いと、あらゆる別れが、ひとつの間違もなかったもののように感じられる瞬間というものが幾つかはあるのだ。それは例えば結婚式を終えた夜に妻が私の前で初めて涙を見せた瞬間。それは例えば息子の産声をこの耳で聞いた瞬間。そして何より息子と過ごしたすべての日々がそうだ。だから一言だけ。きっと大丈夫だと、私は息子に言った。


 

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