たのしいお料理教室カレー編

 エイコに呼び出されたわたしは退勤後に彼女が暮らすアパートを訪ねた。エイコの家には三千余円の値札がついたパック詰めの牛肉が用意されており「これを使ってなんか晩ごはんを作って。あんたに調理をさせるためにスーパーでいちばん高い牛肉を買ってきたの」と彼女はわたしに言った。わたしはできないと答えた。なぜならわたしはふだん料理などまったくしないからだ。過去にした料理らしきことといえば小学校の調理実習ぐらいだ。ひとりで暮らす自宅のコンロには火を点けたことさえない。大学時代からつきあいのあるエイコだってわたしがいかに料理をしないかは知っているはずだ。にもかかわらずエイコは「なにからなにまでぜんぶあたしの言う通りに作ればいい。メニューはカレーに使用。それならあんたにも作れるから」と言って譲らなかった。 有無をいわさぬ彼女の態度にわたしは渋々うなずくしかなかった。かくしてエイコによる料理教室はとつぜん始まった。
 
 昨日わたしはミヤギさんにフラれた。わたしとミヤギさんは半年ほど前にバーで知り合いその日のうちにホテルに誘われてセックスした。セックスしているときのミヤギさんはわたしの目を見ながら「可愛い」と言ってくれた。そんな言葉を向けてくれる男性は他にいなかったのでわたしはすぐにミヤギさんを好きになった。以降わたしたちはセックスフレンドの間柄になった。わたしはできることならきちんとした恋人同士になりたいと思っていたがミヤギさんは「恋人同士にならなくても一緒にいられるこの関係が好きだ」とたびたび話していた。だからわたしは自分の希望を彼に伝えることがついにできなかった。恋人同士という体裁を取らなくても彼と一緒にいて可愛いと言ってもらえる関係が続くのであればそれで良いとも思った。なのに昨日わたしはミヤギさんにフラれた。「恋人ができたから、もう恋人ではない女性とセックスしたりふたりで会ったりしない」と言われた。
 
 エイコの指導のもとカレー作りは進む。包丁の握り方、肉や野菜の切り方、水分量、火加減などについてエイコは逐一わたしに指示を出す。その通りに手を動かしながらもわたしは、エイコが自分でやったほうがずっと美味しいカレーができるじゃないかとぼやいた。エイコの家はわたしの自宅よりふたまわりほど狭いがキッチンの面積は三倍ほど広い。料理に自信があるひとの家だなと思う。手間暇かけて料理することでその労力に見合うだけの美味しいものが食べられるはずだと、そう信じているひとのための家だなと思う。わたしはそうではない。わたしなんかが料理をしても美味しいものはできない。時間や材料費は使った分だけ無駄になるし三千余円の牛肉など買うぐらいなら同じ値段で外食した方がよほど美味しい思いができるはずだと私は考える。そんなわたしにカレーの作り方など教えて何になるというのだ。「いいから黙って手を動かして」とエイコはわたしに言った。
 
 ミヤギさんとの関係が良い結末を招かないことぐらい心の片隅では最初から気づいていた。出会った日のうちに身体を求めてくるような人物とまともな恋愛なんか望めないと本当は気づいていた。それでも彼に「可愛い」と言ってもらえたことが嬉しかったので気づかないふりをしていた。ミヤギさんと件に限らずわたしはこれまで上手に恋愛できたことがない。誰かを好きになり勇気を振り絞って連絡先の交換にこぎ着け会話のたびに一喜一憂を繰り返し時間をかけて関係性を築きあげていっても、それでもわたしの恋は、わたしがわたしである限りひとつも実らなかった。だからこそ出会った日のうちに「可愛い」と言ってくれたミヤギさんにわたしは心惹かれてしまった。胸が苦しくなるような日々を積み木のように積み重ねることなく即日で与えられた「可愛い」に夢中になってしまった。わたしは愚かだろうか。幸せな恋を知っているひとの目にはきっと愚かに映ることだろう。

 カレーができあがった。昨日わたしはミヤギさんにフラれてからエイコに電話をした。大学時代からわたしは失恋するたびにエイコに話をしてきた。だから今回もそうした。エイコはわたしの話をひとしきり聞いたあとで「あした仕事が済んだらあたしの家に来なさい」とだけ言った。そして来てみたら高価な牛肉が用意されておりエイコはわたしになかば無理やりカレーを作らせた。そして今に至る。「いただきます」をふたりで言ってからわたしたちはカレーを食べ始めた。スパイスの辛さと野菜の甘味がしっかりと同居しており牛肉は舌の上で解けるように溶けた。食べ進めるにつれて食欲が増していくようで気づいたら皿が空になっていた。もちろんエイコの指導によるものだが、わたしが手を動かしたにしては、期待していたよりずっと美味しかった。「また何か作りに来なさいよ。やり方は教えるから」と空になった皿をシンクに運びながらエイコは呟いた。わたしは頷いた。


 

タイトルとURLをコピーしました