掌編小説

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ひとり残らず僕らは病人だ

弟の背中には羽根が生えている。白鳥のように白くて綺麗な羽根だ。一方で彼の骨は普通の人間に比べて非常に脆くて弱く長時間立っていたり長い距離を歩いたりすることが出来ない。
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わたしは代替品

あのひとは彼女に深く心酔していた。もはや信仰といってもいいぐらいに。だから彼女が去っていったあと、あのひとはまるで偶像を彫る僧のように数十年もの歳月を費やし、彼女とまったく同じ姿形の、生きた人形を作り出した。
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依存と愛と薔薇

男は水と引き換えに言葉を要求した。『愛している』とか『幸せだ』とか。そういう言葉を口にするよう私に要求した。それを拒むと水は貰えなかった。
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あした生まれるわたし

わたしはもっと遠くへ行きたい。だけれどママは目の届かないところへわたしが行くことを嫌がる。だからわたしは今夜もママと喧嘩をすると思う。
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そして次の朝へ

わたしは恵まれた女だった。生まれた時から大人になり今に至るまでずっと恵まれていた。自分がどうして泣いているのかわたしは分からない。
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くらげは今日もつめたいところで眠る

あの時から、自分が誰かを好きになることはとても悪いことで、いつか誰かに好意を受け入れてもらえる時が来るまで、許されることはないんだろうなと思ってしまっている。
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橋の途中にて

この橋の向こう側に行ってはいけないと大人たちから強く言われていた。だから私は橋より手前のことなら何でも知っていたが、向こう側のことは何も知らなかった。
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鉄の桜もすぐに散る

あのひとの八重歯を僕はよく覚えている。あのひとはいつも笑っていたからだ。自分の病気について僕に打ち明ける時でさえ微笑みながら喋った。
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私の血の機能

過去に一度だけ性交を試みたことがあった。私は彼の、その起伏のなさに、強く心を惹かれた。
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ハッピーエンドはやって来ないだろう

楽しい時間はどうして終わってしまうの? ずっと楽しいままだったらいいのに。そういうふうにどうして出来ないんだろう
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踏まれて死んだ小さな蛾のように

わたしはもう母の顔色を伺いながら寝ても覚めても震えていた弱くて小さな子どもではないのだということを確かめなければいけない。
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線香花火はかならず寂しく終わる

わたしたちはお互いの名前も知らなければ連絡先も知らない。ただ毎年いちどだけこの場所で線香花火をして過ごすということだけが、もう五年ものあいだずっと続いている。
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オッサンとワンワン

コバルトブルーの雨には強力な毒がある。どうしてそんな物騒が雨が降るようになったのかというと、兵器の工場で馬鹿な人間が事故を起こしたからだ。
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スプリンターマツモト

僕なんかと一緒に居ることで楽しそうな顔をしてくれるひとがいるのだ。その事実が僕には、何より嬉しかった。
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可愛くなりたかった

自分の容姿への自信は他者からの声によっていとも簡単に二転三転した。可愛いと言われ続ければ自分が絶世の美女であるかのように錯覚することが出来た。